問いの集約
達人の境地とは──「それっぽい」と「本物」は何が違うか
本講義は、上級者が直面する「それっぽい演奏」と「本物」の差を、達人論の入り口として言語化します。 鍵となるのは「する」と「しない(無音・静寂・間)」の両立と統合。 意図・承認欲求・基準追従に偏りやすい“する”から、いったん“しない”へ降り、 音と間を統合していく過程で、演奏は「私が音を出す」から「音楽が通過する」方向へ変質していきます。
この講義で共有した問い
- ・「それっぽい演奏」と「本物」を分ける、埋められない差はどこに生じるのか。
- ・上級者に必要な「知識という地図」とは何か──なぜ知識がないと“見えない”のか。
- ・「する(意図・達成)」から「しない(無音・間)」へ降りるとは、具体的に何を指すのか。
- ・音と間を統合すると、演奏者の感覚(世界の捉え方)はどう変わるのか。
- ・熟達において「主客が入れ替わる」とは、どのような状態なのか。
- ・単なる上手を超えるために、なぜ“他者”が必要なのか。
内容の記録
Ⅰ.「それっぽい」と「本物」──上級者に不足しがちなもの
・熟達を目指す人に足りないのは、多くの場合「知識という地図」である。
・今回は達人論の膨大な全体ではなく、ひとつの文脈(する/しない)から一部を共有する。
・安易な取り込みは危険であり、慎重さが必要であると注意が添えられる。
Ⅱ.中級者(達人風)と熟達者の差──「する」から「しない」へ
・中級者/達人風:演奏を「する」意図(達成・見せる・認められたい)が前面に出やすい。
・「する」は音に囚われやすく、音を多く・速く・確実に、という方向へ偏る。
・熟達者:いったん「しない」に入り、「する」と「しない」を統合し始める。
Ⅲ.「しない」とは何か──無音・静寂・間
・「しない」に入ると、無音/静寂/間の表現が立ち上がり、音と間の統合へ向かう。
・「間が抜けている」=するばかりで間を失っている、という言葉の含意が示される。
・しないに入ると、見聞きできるものだけでなく、見聞きできないもの(影・闇)も取り入れ始める。
Ⅳ.熟達の状態──主客の入れ替わりと「音楽になる」感触
・「私が演奏する/音楽を対象物としてコントロールする」状態から、主客が入れ替わる方向へ。
・音楽を通じて考える/音楽そのものを通じて行為する、という表現で近づけられる。
・すると・しないの統合は、意図的に入れる“意識状態”として語られ、訓練が必要とされる。
Ⅴ.単なる上手を超える方法──他者・外部・答えのない問い
・熟達のきっかけは「他者」からもたらされる(人・楽器・作品・外部の世界)。
・知識・概念・言葉がないと“見えない”ものがあるため、講義はその入口を作る。
・自力で熟達した例はほとんどなく、上達するほど「自力をやめる」方向へ進む。
・答えのない問いを問い続ける力が、熟達に必要な“強さ”として示される。
Ⅵ.雑談:中級者域を超えた事例──言葉にならない反応
・中級域を越えた演奏では「上手い/下手」の評価が消え、「ただ見てしまった」「言葉にならない」反応が増える。
・「憑依」「一瞬師匠が入った」など、説明しにくい語彙で語られる現象がある。
・限界域にいる不安定さ(安定の外側)を感じ取る話も添えられ、表現の境が示唆される。
※達人の境地に関しては学ぶべき範囲が膨大です。本動画はその一部を特定の文脈から説明したものであり、安易な自己解釈や模倣にはご注意ください。
※個人や具体的状況に関わる記述は公開していません。 稽古の学びを抽象化し、問いとして共有しています。
※合同稽古とは、演奏ジャンル(長唄・端唄・小唄・地唄・民謡・津軽三味線・語り物 など)を問わず、さまざまな演奏者が集う場です。 そこで扱われるのは、技術、肩書きの優劣や形式の違いではなく、音楽・芸術・伝統芸能に共通する根源的な問いです。 理論の継承と実践を往復しながら、その問いを参加者どうしで探求していく場として開かれています。
初公開:2023-12-29 / 最終更新:2026-01-09