問いの集約
生命力のある演奏のために──「感情」とどう向き合うか
演奏者にとって避けて通れない「感情」の基礎知識を扱います。 間違いは少ないのにロボットのように聞こえる演奏と、生命力があり聴き手と空間を包み込む演奏の違いは、 テクニックではなく「感情への取り組み」にある──という前提から話が始まります。 一般的な指導で行われがちな“感情風”の表現を見直し、日本古来の身心一如の考えにもとづいて、 頭・心・身体を一体のものとして扱う学び方が提示されます。
プロローグ 本当の感情に身を委ね、音楽と統合している状態
この映像の演奏者は、音楽経験3年の段階にあります。鑑賞者として眺めるのではなく、 「自分なら同じことができるだろうか」 「本当の感情を、音楽として表現できるだろうか」 という問いを抱きながらご覧ください。 観たときに生じる自分の感想や身体反応こそが、演奏者としての現在地を映し出します。 ここに正解・不正解はありません。これは、当時の彼女にとって確かに生じていた感情です。
参考映像:本当の感情を込めた表現
講義の概要
本動画は、演奏を「感情の問題」として捉え直すところから始まります。 「激しく弾く」「やさしく弾く」「感情を抑える」といった分かりやすい操作が、 しばしば“感情風”にとどまってしまうことを指摘し、身心一如の観点から、感情を身体感覚として扱う道筋を示します。 中盤では「思考・感情・情動」の違いを整理し、認知(事実)と感情(主観)を切り分ける訓練、 さらに身体感覚・身体反応を観察する方法を紹介します。 後半は上級編として、「社会的に許される感情」の枠を超えた表現、未処理の感情や世代を超えた情動を 芸術として引き受け、浄化へつなげる可能性にも踏み込みます。
この講義で立ち上がった問い
- ・なぜ「間違いの少ない演奏」が、ときにロボットのように感じられてしまうのか。
- ・自分の感情を、音楽テクニックではなく「身体感覚と情動」として演奏に結びつけるにはどうすればよいか。
- ・思考・感情・情動を切り分け、身心一如として統合していく稽古は、演奏の質をどう変えるのか。
- ・社会的に「許される感情」の枠を超えたとき、芸術表現として何が立ち上がり得るのか。
内容の記録
Ⅰ.ロボットのような演奏と、生命力のある演奏
・ミスが少なく整っているのに「ロボットのよう」と感じられる演奏の特徴
・演奏者と音楽と観客が一体となり、生命力が立ち上がる演奏の感触
・テクニックだけでは届かない領域としての「感情への取り組み」の重要性
Ⅱ.感情はなぜ教えられてこなかったのか
・音大・音楽教室でも扱われにくい「感情」のテーマ
・リズムや強弱を操作する「音楽的感情表現」と、本来の感情との違い
・感情の指導には、5〜10年以上の信頼関係と個別性への配慮が必要であること
Ⅲ.身心一如と「思考・感情・情動」の基礎
・頭・心・身体は一つであるという、日本古来の身心一如の捉え方
・思考(認知)と感情、情動(エモーション=動きを伴う表出)の違い
・今この瞬間の感情と、過去から持ち越された「未完了の感情」
Ⅳ.思考と感情を切り分ける訓練と、身体感覚へのアプローチ
・認知(事実)と感情(主観的な心の動き)を分けて言語化する練習
・頭で「感動した」と解釈する前に、具体的な身体感覚を見つける訓練
・感情=身体感覚・身体反応として捉え直し、そのまま情動と演奏へつなげる
Ⅴ.社会的に許される感情と、芸術の領域
・「この程度までなら許される」という社会的な感情の枠組み
・その外側にある感情を表現することへの不安と、芸術が担う役割
・未処理の感情や世代を超えて受け継がれた情動を芸術で引き受け、浄化へつなげるという上級者の営み
初公開:2025-01-22 / 最終更新:2026-01-09